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12歳の旅立ち その2 ~息子に伝えたかったこと~

2010年06月22日 院長

Img_0903 今春中学1年生になった息子は鹿児島の学校に進学し、12歳で我が家を出て寮生活を始めています。(マネージャーのおはなし2010年5月07日もご参照ください。)

息子が旅立つ日が近づいた3月末のある夜、私は息子に「俺はまだまだ死ぬ予定もつもりもないが、遠い将来もし俺が死ぬ時、おまえが大事な仕事をしていたならそっちを優先してくれ。俺の臨終に立ち会おうなんて思わんでいいぞ。
仕事をやり遂げてゆっくり会いにきてくれたらそれでええ。」息子は、ああ、と返事をしたものの、いったい何を言い出すんだこのおやじは?という怪訝そうな顔をしていました。

Img_03021 今から約22年も前の話です。
私が社会人の一年目すなわち研修医になって間もなくのころ、私の父は病気で亡くなりました。
父の状態が良くないとの知らせで、広島の実家の近くの病院に父を見舞ったときの事です。
うつろな意識の中で私の姿を見つけた父は「おまえがなぜここにいる。おまえは患者さんを受け持たせてもらっていないのか。」と鋭い眼差しで聞いてきました。
私は子宮筋腫の患者さんやお産の妊婦さんなど受け持たせてもらっていると話すと、父は「だったらおまえはなぜここにいるんだ。さっさと自分の勤務する病院にもどれ。馬鹿たれ!」元気なころの迫力のある父の形相でした。
父は自分の事で私の仕事の迷惑になると思ったようで、私は仕方なく帰りました。
結局これが父との最後の会話になってしまいました。
間もなく、父が亡くなった知らせは当時勤務していた病院のカンファレンス中に届きました。
あれから22年たった今私は、あの時父は私にプロフェッショナルとはいかなるものかを教えたかったのかもしれないと思っています。
それを私も息子に伝えたかったのですが、12歳の息子にはまだ少し早かったようです。
彼がもう少し成長したらまた話してみようと思いました。

話が少し重くなりましたので、話題を変えましょう。
先日6月5日(日)、久しぶりに留守番の先生にクリニックをお願いして、愛車をとばして家族でちょっと鹿児島まで行ってきました。
家内(=マネージャー)と娘は何度か行っていましたが、私は息子のところに行くのは初めてで楽しみでした。
ちょうど学校で文化祭をやっており、写真はその中の恒例行事の一つ、クラス対抗の合唱コンクールの一コマです。
男子校の合唱ってどうなんだろうと思っていましたが、みんな一生懸命真剣に唱っており結構感動しました。
最後列向かって一番左端の色黒の背の高いのが息子です。
彼は幼い頃から運動能力だけはズバ抜けていましたが、念願の野球部に入って投手をやっているようです。
どうせやるなら高校に上がった頃には鹿児島実業や樟南高校の強打者たちをキリキリ舞いさせるような剛腕投手になってほしいよな、と言うと「お父さんって、ほんとピントのはずれた親馬鹿だよね。」隣で高校1年の娘が小さくぼやきました。 (院長 道岡 亨)


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